MUSIC WORLD BY MASANORI KATOH
 
奇人の作り方
 

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<回顧録> 奇人の作り方=第1節

僕は1972年11月12日午前3時30分 神奈川県平塚市にある平産婦人科にて生まれました。
父は、工学を専門とする大学教員。母は看護婦をしており、決して音楽家庭ではありませんでした。
身内を探してみても、音楽と縁のありそうな人はなくて、唯一、強いて言えばという次元ですが、母方の祖父が、趣味で尺八など和楽器を嗜んだそうです。
しかし、この祖父は母が幼少の頃にすでに他界しており、またその祖母(母の母)も母が高校に進む頃までには他界していたそうなので、僕には直接の触れあいはありませんでした。
そんなわけで、結局のところ音楽的環境から考えると特に特殊というわけでも恵まれているというわけでもなく、むしろ音楽的ですらなかったといえるかもしれません(笑)
僕の記憶は3歳になる少し前、長年住んだ横浜の住宅に引っ越した時に、その駐車場で足漕ぎ車で暴走したときのものが最初です。
その後はおそらく幼稚園の年長の時、帰りのバスでウンチをもらして隠していたら、隣に乗っていた幼馴染みのケンちゃんが「くさいくさい」としきりに言うのに焦って、他人のせいにしながらもバスの窓を必死に開けた出来事だと思います。(関係ないですね・・・)
僕が音楽と触れあうのは、小学校2年生になってからのことなのですが、その前に今になって「おいおい才能あったんやないの??」というエピソードがありました。これは最近聞いた話です。
幼稚園の発表会で合奏があったのですが、僕は笛だったか、ピアニカだったか、その他大勢とやる楽器を担当していたそうなのです。ところが本番の当日、大太鼓を担当していた子が風邪で休んでしまったのです。
そこで代役を募ったところ僕がやることになり、僕は練習なしで見事、演奏したそうです。
つまり僕は、その他大勢の楽器をやりながら、ちゃんと他のパート聞いていたということです。
この事にウチの親はただただ感心。僕の才能の芽はこのとき見過ごされたのです(苦笑) ホントなのか嘘なのか親はこの出来事を「わざと」見過ごしたと言っておりますが・・・・おそらく嘘でしょう・・・
この頃の僕はミニカーや自転車など乗り物やそのおもちゃに夢中だったそうです。
全然音楽的じゃありません・・・・
次回はいよいよピアノを始めます。